ブログ始めてみましたが、文才ないので結構億劫だということに気づきつつある今日この頃。
ネタとして、趣味の株式投資についてでも書きたいと思います。
ある程度下書きをしながら書き出してみると、ダラダラと長ったらしくなってしまったので、
とりあえず後日編集ありきで、本日は「投資歴」について書いてみます。
、、、と思って、「投資歴」もだらだら書いていたら長文になってしまったので、なるべく要約で書いてみました。
、、っと思って、要約で書いてみましたが、長文になって、、、もういいか、、、。
今後、過去から学んだ投資スタンス、おすすめ株等を書いていければと考えてます。
DMM.com証券
(まずはじめに)れいさい君の投資力スペック
カス+スペックではありません。(投資)力+スペックです。
専業でないので、素人に毛が生えたレベルです。
素人なりに独自の妄想力を駆使したスタンスでやってます。
感覚的に、始めてから約17年で含み益も含め、500~700万程度の利益(ややショボいですが、、、)は出ていると思います。
真面目に帳簿にでもつけておけばよかったのですが、、、面倒臭がりなのでやってません。
ただし、こんなショックが起こった時、こう考えた!という感情の記憶は残ってます。
ちなみに記憶力は、感情と紐づけすると定着するそうです。、、、早速脱線しました。
利益の大半は、2003~2007年の中国株投資です。
中国株で調子良い時、ついつい浪費してしまい、お金がなくなると証券口座からちょこっと引き出す。を繰り返し、思いつくだけで、約200~300万程の利益を使い込んでしまいました。
現在は、その時の利益の残りカスで、生活に支障をきたさない程度に日本株で運用し、
持ち株が紙クズになっても負けなし!程度の純粋なマネーゲーム感覚でやってます。
株式投資歴
細かい年度は忘れかけてましたが、過去のショックやら転換点を思い出しつつ、
私の投資歴を書き綴ってみたいと思います。
◆始めたきっかけ (2003年春 ソニーショック、バブル後最安値)
私が就職した2003年は、春にソニーショックなるものが起こり、日経平均株価もバブルの最安値を付ける等、激動の年でした。
テレビ、新聞等でもこれから日本はどうなる?という暗い雰囲気でした。
そんな中、大学卒業後、希望を胸に大手部品メーカーに就職。
早速、新入社員研修最終日の会長講演で、
「皆さんは、誰のために働いるかわかってますか?、、、株主様の為ですよ!」という
貴重なお言葉を拝聴する。
しかし、よくよく調べると、主要株主はその会長だったんですよね。
心の中で思いました。「う~ん。株主って、なかなかのクソだな、、、。」
そして、希望を持って配属された先で、サービス残業で疲弊し、当時30歳位のバリバリ仕事をしていた先輩社員の給料が、ほぼ新入社員時代から変わっていないというカミングアウトをされ、とりあえず結婚はあきらめようという結論に至る。
それはさておき、残りの社会人生活40年をこの会社に捧げられるか?と自問自答し続ける毎日が続く。
考えた結果、何か副収入的なものを考えないと、給料だけだと完全に人生詰む!という不安に苛まれる。
ふと、どこかで聞いた言葉を思い出す、、、「ピンチはチャンス」。
これ以上株価って下がるの?むしろ上げる確率の方が高いんじゃない?
そして、改めて考えてみると、労働者側からすると株主ってクソって思えるけど、逆を言えば株主ってある程度のお金だけ出しておけば増えていく最高のポジションだな。という逆転の発想で、夏のボーナスを元手に株式投資を始めてみる。
◆2003年夏 ネット証券に口座開設
早速、夏のボーナスを元手に、当時駆け出しのネット証券会社を開設し、ノウハウもないまま、とりあえず日本株の取引をしてみる。
後追いで、本などを読み漁り、テクニカル分析、ファンダメンタル分析などを浅はかでわあるが勉強してみる。
当時印象的だったのは、IPO。
IPOとは、新規上場する企業を証券会社の抽選で引き当てることができる制度で、大体上場すると抽選金額の何倍にもなるという代物。
しかし、弱小資本の私には手が届かず、ほとんど当選しないので数回申し込んで諦めました。
今も申し込んでも当たらないのでやってませんけど。
そんなこんなで、試行錯誤するも成績は振るわず。
因みに当時、私の日本株買いのスタンスは、俗にいう逆張りでした。
後日、順張りスタンスでアベノミクスに臨む。
◆2003年末ごろ中国株はじめる
株式投資を始めて、順調に停滞。
結果も出ず色々本を読み漁っていると、中国株がいい!という週刊誌を目にする。
中国株?ちょっと怪しいな?
証券会社はどこでやればいいんだ?
ユナイテッドワールド証券?
・・・・・・
・・・・・
・・・・
とりあえず、冬のボーナスを元手に中国株取引開始!
経緯は、割愛!(後日書きたいと思います。)
(余談)
当時上場したてのテンセントに投資してました。
現在まで保有していると、約300倍弱する株価に上がりっており、
通称BATの一角として、よく新聞を賑わしています。
私は、アホなので2倍になった時点で大喜びで売却。
超~~~後悔してます。
なぜ売ったのか?
当時、中国株の特集雑誌で、「中国は、高度経済成長の日本だ」という触れ込みと、
そうであれば、まずはIT企業よりもインフラ企業だ!そして、携帯からではなくて電話から普及する!という文面をどこかで見て、その通りに投資してしまったのです。
人の話の受け売りはだめですね。自分で考えろってことです。
◆2006年ライブドアショック 日本株完全撤退
中国株を始めてみると、はじめはそこそこでしたが、いつのまにか含み益がどんどこ増える。
私は、中国株を別名「金の紙屑」と呼んでました。
普通に2倍、3倍は当たり前。
しかし、粉飾決算前提で、ある日突然売買停止で紙くずになるなんて、珍しくありませんでした。
幸い売買停止は、一度もつかみませんでしたが、、、。
ワーサンガス、、、なつかしいなぁ。
一方、日本株はず~と低空飛行。
ライブドアショックの影響で何となく負けたりが続く毎日。
日本株と相性悪いな。
ということで、少ない投資資金もすべて中国株へ移管し、日本株完全撤退。
この時、「木を見て森を見ず」ではないけれど、私のような素人は、とりあえず「森」に投資すべきだと悟る。
◆2007年夏、アメリカでサブプライムローン問題
2007年盆休みまでは、相変わらずどんどこ増える。
一週間で、会社のボーナス分くらいの含み益。
故に、若干金銭感覚が狂う。
当時のモットーは、今月の給料は、来月の給料日まで使い切る!
浪費しても足らない時は、ちょいちょい証券口座からお金を下す。
そんなことを続けている2007年の盆休み、アメリカのサブプライム住宅ローン危機の影響で中国株暴落。
盆休み前にウキウキで帰省した私は、盆休み明けにどんよりとした気持ちで一人暮らしの自宅に戻ってくることになる。
なぜなら、その1週間で約100万程の含み益が一瞬で蒸発してたから。
その時は、まぁ何とかなるだろうと思ってました。
とは言うものの、遠くの沖合で白波がたってるけど、あれ津波じゃないよね?という感覚にも襲われる。
今思えば、リーマンショックの1年前暗いから、すでに煙は立っていたように感じました。
◆2008年9月 リーマンショック
とうとう2008年9月、津波が来てしまいました。
この時、確実に下がると思った私は、株価が下がれば利益を得られるワラント債を始めてみる。
当時は、ETFのベアやらインバース等ない時代で、株価の下落で利益が出るのは、信用取引かワラント債くらいしかなかった。
信用取引は、失敗すると借金抱えるので、ワラントで中国株の持ち株のマイナス分を若干補う。
っが、焼け石に水。
そして、巷では中国デカップリング論が噂される。
デカップリングとは、中国はアメリカの影響を受けににくく、中国の大型投資政策で中国経済は大丈夫じゃないか?という考えです。且つ、当時の中国は海外への元の持ち出しが規制されてたので、中国株式市場は資金が逃げないだろうと考える。
よって、中国株に全力投入!
そして、その時まで宵越しの金を持たず浪費していた自分に後悔。
結果、資産はあっという間に1/3に。
<この時悟ったこと>
米ドルは暴落すると考えFXに手を出してみるも、タイミングを逃す。
改めてやるも、秒殺で数十万のお金が消える。
以後、FXは自分に向かないと悟る。
日本のバブルは100兆円で、失われた20年を経験した。
アメリカのサブプライムローンは、住宅金融公庫に当たる金融機関2社だけで500兆円だから、、、失われた100年か?アメリカ終わったな、、、と考える(のちに過ちに気づく)。
◆2012年アベノミクス
日本株は、やっていないけれど民主党政権下の見事な下落っぷりを傍観。
中国株は、リーマンショックからの巻き返しができないまま停滞中。
そして、この時ちょっと入り用で、なけなしの軍資金を引き出す。
そんな中、安倍さんと野田さんが国会中継で向かい合っている時、
なんだか潮目が変わるような気がしてきた。
日本株は、もうこれ以上悪くはならないだろう。
長年のデフレでたまったエネルギーが爆発するのでは?
中国株のリバウンドもそれほど見込めず、日本株に回帰し始める。
一方、NYダウの結構戻してる。
すべての負債をヨーロッパに擦り付け、復活したと理解する。
そして、この頃、新聞でテスラのイーロンマスクの記事を見る。
手術機械のダビンチの会社も気になる。
二者択一で、テスラに投資。(後日、2倍になったら売ってしまいました、、、2度目の失敗)
◆2017年秋 エイト証券終了
2014年NISAが始まるころには、ほぼ2/3以上は日本株に集中。
さらに資金を移動し、中国株の投資額もほぼ1/5程度になること、エイト証券(旧 ユナイテッドワールド証券)が突然の取り扱い停止の為、中国株ほぼ完全撤退。
◆2020年 コロナショック到来
そして、コロナショックの現在に至る。
コロナショック読めませんでした。
なぜなら、2003年のSARS程度に収まると見込んでしまってたからです。
そんな訳で、早めの追加投資で若干失敗。
ワクチン関連で一時期成功も全力で投資した結果、利益激減。
只今、懲りずにコロナ関連銘柄に資金の大半を投資中。またやっちゃうかな、、、。
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